金原明善をご存じでしょうか?
「暴れ天竜」と呼ばれ、たびたび洪水が発生していた天竜川の治水に全財産をかけ、実績を上げた、静岡県浜松市では有名な偉人です。
治水の歴史
まず日本にとっての治水について触れてみたいと思います。
日本列島は大陸プレートが複雑に衝突し合うその上に立地しているため、急峻な地形が多く、かつ安定した地質帯がありません。また、気候的にも台風があるため、川の水量の変動がとても大きく(欧州の10倍の変動がある)治水が難しい環境にあります。
その一方、日本は古代から水田が営まれる国ですので、河川の水は必須であり、洪水を起こす川とともに生きる必要がありました。なので時の為政者にとって治水工事は大きな役割であり、「茨田堤」「満濃池」「信玄堤」「文禄堤」などが歴史的に整備されてきました。
もちろん、天竜川も治水工事はされてきたのですが、「暴れ天竜」を相手になかなか洪水を減らすことができませんでした。
金原明善の治水
金原明善は幕末に名主の家に生まれ、天竜川の洪水ですべてが水に飲みこまれる光景を目の当たりにしていました。治水を藩に訴えましたが、明治維新となり藩は解体される状況でした。明治政府も資金がふんだんにあるわけではなく、なかなか金原明善の願い通りに治水工事が進みませんでした。
そこで、金原明善は名主として築き上げられてきた全財産を治水目的で国に納めることで、政府を動かすことに成功しました。しかし、金原明善はお金を出しただけではありません。
自ら天竜川全域を調査、測量し、治水の知識を学ぶ学校まで作り後進の育成にも取り組みました。金原明善の手掛けた工事は明治時代に終了しましたが、その後治水事業は政府に引き継がれ昭和42年まで継続されたのです。
金原明善の様々な功績
天竜川の治水で有名な金原明善さんですが、そのほかにも様々な事業を手がけました。
林業:全国植林指導、御料林での植林、天竜川上流での植林
(植林によって山を管理し木材を生産するとともに、治水にもつなげました。)
会社設立:銀行、商社、運輸、家具・・
(会社設立により事業を継続する仕組みを作りました。)
農業開拓:北海道、印旛沼・・
(農地の開拓によりまだ水田のなかった場所での稲作の実現しました。)
更生保護:保護司会
(刑務所を出た人たちが早く社会復帰するのを助けました。)
金原明善の思想
こうした実績を上げた金原明善ですが、その根底には確固たる思想がありました。だからこそ強い意志で事業を成し遂げることができたし、多くの協力者を得ることができたのです。
・実を先にして名を後にす
(有名になることを目指すのではなく、良い仕事をすることを目指す)
・行いを先にして言を後にす
(やるべきことを言う前に、行動で示す)
・事業を重んじて身を軽んず
(自分だけ豊かになるのではなく、社会全体を豊かにする)
私たちもこうした思想、考え方、生き方から学んでいきたいと思います。
「金原明善さんと今を生きるわたしたち」
こうした金原明善の功績、思想を子供たちにわかりやすく伝えるべく、有志の方たちが漫画にしてくださいました。https://meizensan.jp
こちらのリンクでダウンロードできますので、ぜひダウンロードして多くの方に金原明善を知っていただきたいと思います。
前半が金原明善の生涯を描いた漫画、後半が資料集となっています。
ぜひご覧ください。
そして多くの方に伝えていただけることを願っています。