建国記念の日奉祝式典に参加して

活動報告

皇紀2686年2月11日、浜松市建国記念の日奉祝式典に運営協力として参加させていただきました。
この日は朝からあいにくの雨。
午前10時にアクトシティ浜松の中ホールに集合し、主催者から運営について説明を受けます。
会場準備から受付、誘導まで裏方として動きながら、節目の日に関わらせていただいているという実感がありました。
高校生から高齢者まで、幅広い世代の方が集まり、静かな熱気と誇りが漂う式典でした。

外国人の目から見た日本

国家斉唱、拝礼と続き、式典の中ほどで、小林ランバンさんによる意見表明がありました。

マレーシア出身で、日本人の奥様の会社に勤め、日本で技能実習生として働いた経験を持つ方です。
小林さんは、日本での苦労を率直に語っていました。
文化の違い、日本独特の考え方、厳格な規律。
ときには理解できず、悩みに押し潰されそうになったこともあったそうです。
それでも消防団に入り、地域に溶け込み、日本社会の一員として生きようとした経験は印象的でした。特に興味深かったのは、日本の舗装技術や現場の精密さへの評価でした。
豪雨後の復旧技術、日本人の「ダメなものはダメ」と言い切る姿勢、規則を守る意識。
帰国後に日本の技術水準の高さを改めて思い知らされたと語っていました。
現在は奥様の父の会社を継ぎ、日本企業と関わりながら仕事を続けているそうです。
中小企業の後継者不足という問題にも触れ、「技術が途絶えれば、日本の産業そのものが衰える」と危機感を語っていました。
外国人の立場から「日本の中小企業は宝だ」と言い切る言葉には重みがありました。
日本人が当たり前と思っている精密さ、責任感、親孝行の価値観を外から評価されることで、改めて気づかされるものがありました。

谷口先生の講演――政治は希望を語る仕事

第一部が終わり、休憩をはさんで、続いて行われたのが、谷口智彦先生の講演でした。
安倍元総理のスピーチライターとして知られ、日本外交の現場を間近で見てきた方です。

演台の前に立つのではなく、ステージ上を自由に移動するタイプの講演で、しかも政権の裏側を語る証言のような内容で、非常に密度の高い時間でした。
安倍元総理との個人的なやり取り、麻生政権時代のスピーチ制作、外交の現場での緊張感。
特にアメリカ上下両院での歴史的スピーチを23日で時に徹夜をしながら仕上げた話は圧巻でした。
言葉一つが国家の姿勢を表すという重みが伝わってきました。
オリンピック招致をめぐる外交の話も印象的でした。
トルコとの競争関係の中で、相手への敬意をスピーチに込めた結果、国と国の信頼関係が保たれたという話から、外交とは単なる勝敗ではなく、未来の関係をつくる行為なのだと感じました。
講演の中心にあったのは、「総理大臣の役割は希望を語ること」という考え方でした。
皮肉や悲観では国は前に進めない。
未来は明るいと信じさせることが政治の責任だという言葉は、会場の多くの人に強く響いていたように思います。
後半では、日本を取り巻く国際情勢にも話が及びました。
台湾問題、中国の動向、安全保障、そして皇統の継続。日本は歴史的な転換期にあるという強い危機認識が語られ、会場には緊張感が走っていました。

会場の熱気と違和感

選挙の話題になると、最近の衆議院議員選挙での自民党の大勝を喜ぶ空気が一気に広がりました。
政治が大きく動いたという高揚感が共有されていたのだと思います。
ただ、その熱気の中で、私たちは少し違和感も感じていました。
選挙結果そのものを否定する気持ちはありません。
民主主義において結果は尊重されるべきです。
しかし、人々が一斉に同じ方向を向き、祝福一色になる空気には、どこか慎重でありたいとも感じました。
歴史を振り返ると、社会が熱狂に包まれるときほど、見えにくくなるものがあります。
戦前の空気、コロナ禍で経験した強い同調圧力、人権をめぐる議論。
私たちはそれらを十分に振り返り、総括できているのだろうかと考えさせられました。
実際、今回の選挙で与党は衆議院の3分の2の議席を占め、事実上参議院が無効化されました。
これは、どんな法案でも理論上は成立してしまうことを意味します。
この危険性にいったいどれだけの国民が気付いているのでしょうか。

建国記念の日は、国を祝う日であると同時に、歴史から学ぶ日でもあるはずです。
誇りを持つことと、過去を忘れることは違います。
反省や問い直しがあってこそ、成熟した誇りが育つのではないでしょうか。
式典を終えて帰る道で残ったのは、高揚感だけではなく、「考え続けたい」という思いでした。
祝う声が大きいときほど、静かな疑問を持ち続けることも、民主社会に必要な姿勢なのかもしれません。
今回の式典は、日本を祝う場であると同時に、日本について深く考えるきっかけを与えてくれました。違和感も含めて、大切に記憶しておきたい一日です。

令和8年2月11日、静岡県浜松市にて