希望のデモ行進2~WHOから命をまもる国民運動バスツアー(後編)~

活動報告

(前編からの続きです。)

第1部の講演会は午後3時までの予定でしたが、私たちは先生方の講演会の途中で席を立たねばなりませんでした。
なぜなら、私たちは主催者が公式サイトで募集していたパレードデモ梯団に「志氣友学舎と絡合会」で申込みをしており、そのデモのスタート準備の集合時刻が2時30分になっていたからです。
「絡合会」は科学者で私達の顧問もお願いしている武田邦彦先生が提唱された会で、本来の日本人が持っていた誠実、恩義、慈愛の心を大切に、よりよい日本社会を作り、みんなの幸福を目指す会で、全国の皆さまにご案内ができるように、ただ今準備を進めているところです。
地域のリアルな活動には各都道府県組織が必要と考えられ、また私たちの代表が絡合会の理事も務めていることから、私たち志氣友学舎が静岡絡合会の中核をなすべく、さまざまな保守団体の皆さまと連携していこうと考えています。
この日は、日頃から情報共有している東京や大阪、兵庫の絡合会の方々と共に梯団を組むことになっており、会場到着後、早々に合流し行動していました。
2時半になり、デモのスタート地点だった日比谷公園の霞門付近に移動すると、やはりそこには各団体の旗やプラカードが高らかに掲げられ、たくさんの人たちで埋め尽くされていました。

私たちはひとかたまりとなって出発の指示を待っていましたが、とにかく人が多く、ごった返す人混みで何がどうなっているのか、各梯団がどのように待機しているのか、詳しいことは分かりませんでした。
ここでも「静岡絡合会」の旗を見つけ、「静岡県在住なんですが、一緒に歩いていいですか?」と話しかけて来られる方々がおられ、「どうぞどうぞ」と、どんどん梯団が大きくなっていきました。
横の方でシュプレヒコールが上がり、送り出すために両脇に陣取っている方々のコールも重なり、ものすごい熱気と今か今かと出発を待ちわびる雰囲気が伝わって来ます。
主催者からは、デモのスタートは梯団グループの早い方だと伺っていましたが、2、3日前のチャンネル桜の番組で、第1梯団はWCHJの皆さま、第2梯団はくにもりの皆さまという情報は得ていました。
ただ実際は、くにもりの皆さまが第1梯団として出発を待っているようでした。
先頭に水島社長がいらっしゃり、出発の合図を待っている所へ、私たちの相談役の石川さんが、水島社長に「静岡はバスを借り切って来たよ。」とごあいさつされ、水島社長が深くお辞儀をされる場面がありました。
水島社長は静岡県掛川市のご出身です。
そして、実は石川相談役は、水島社長がチャンネル桜を立ち上げた時の3人のメンバーのひとりである植松和子さんと以前から親交がありました。
チャンネル桜設立の全国キャラバンを浜松で行うことになった時に全面協力をし、講演会をはじめ、「南京の真実」映画の上映会など、石川相談役がさまざまに支援をされたという経緯があります。

(画像は師匠さまの下記の動画からお借りしました。)

ほどなく第1梯団が出発していきます。
紅白の日の丸の旗と青の「パンデミック条約反対」の旗、同じく青の「くにもり」の旗が梯団の最初から最後まで整然と並んではためき、大変美しい行進の風景でした。

次にスタート地点に立ったのは、WCHJの梯団。
さらに日本保守党の梯団と続き、そしていよいよ絡合会の出番です。
時刻は3時40分を回っていました。
日帰りバスツアーのため、午後5時には日比谷公園を出発する予定でしたので、きちんと最後まで歩けるか、少々心配になりながらの待機時間でした。
前の団体が進み、出発の番が近づいて来た時、私たちの梯団もシュプレヒコールの第一声を上げます。
梯団のメンバーだけではなく、周囲にいる人々が声を合わせると、その声が一段と増幅し、老若男女、そこに集った見知らぬ人々の思いがひとつになったような気がして、その場の雰囲気は最高潮に達していました。
そして出発の際には、えどきたさんが法螺貝で送り出してくださいました。

警察官の合図で、歩き始めます。
日比谷公園から終点の明治製菓ファルマ付近まで、デモ行進の距離は約2キロでした。
道中も警察の方々がデモ隊の安全をしっかり確保してくださり、まったく混乱もなく、最後まで歩くことができました。

歩道には、すでにパレードデモを終えた一団の中、こちらに手を挙げて声援を送ってくださっている林千勝先生の姿がありました。

順番にシュプレヒコールを上げながら歩いていると、途中でYouTuberの藤村晃子さんが取材されているのを見かけました。
彼女の動画に私たちはどれほど力をいただいたか分かりません。

残念ながら撮影できませんでしたが、精神科医の田中陽子先生の姿もありました。
精一杯の声で夢中になってみんなと叫びながら歩いていたら、2キロはあっという間でした。
デモの終点付近では、水島社長がデモ隊をねぎらうように演説をされていました。
私たちがデモを終えると「静岡、ありがとう。」と声をかけてくださったのが、とてもうれしかったです。
横断歩道で道路の向こう側へ渡り、梯団を組んだ絡合会のみんなで記念撮影をしました。

東京、大阪、兵庫の各グループとはそこで別れ、私たちは今来た道の反対側を歩いて戻ります。
プラカードものぼり旗も畳んで、実行委員会が参加者に配っていた日の丸を模した簡易団扇を振りながら、デモ隊を応援します。
「がんばってくださーい」と声をかけたり、一緒にコールしたり。
そして日比谷公園まで戻ってくると、時計の針はちょうど5時を指していました。
その時まで、向かい側を歩くデモ隊の波が途切れることはありませんでした。
梯団の数は28とも30とも聞こえてきますが、本当はいくつだったのか分かりません。
5時を回ったため、警察が出発を止めた梯団が3つほどあったと、帰宅後に観たチャンネル桜では伝えていました。
5時から第3部が始まっていたはずですが、それを現地で見ることはなく、私たちは待機していたバスに乗り込み、帰路に着きました。
帰りは日比谷公園で受け取った崎陽軒のシウマイ弁当を車中で食べました。

そして、マイクを回しながら一人ずつ、このデモの感想を述べました。
そこでは、これだけのデモを果たして日本のオールドメディアは報道するのか、という疑問にも似た感想が聞かれました。

約2万人が集まった4月13日のデモを、マスゴミは完全に無視しました。
そこから考えれば、今回のデモも同じであろうということは容易に想像がつきます。
実際、2日経った今日まで、このデモに関する一切の報道はありません。
それどころか、私たちから受信料を徴収している公共放送(のはず)のNHKは、
「“強制接種進む”など パンデミック条約に関する誤情報が拡散」などと報道をしました。


もはや、マスコミに期待するのが無駄なことだと言わざるを得ません。
池田先生が言われたとおり、私たち一人ひとりがすべきことをする、自分たちで拡散する、日本をまともな国にするにはそれしかないということを改めて確認したデモ行進でした。

令和6年5月31日(金)日比谷公園にて