希望のデモ行進2~WHOから命をまもる国民運動バスツアー(前編)~

活動報告

令和6年5月31日、日比谷公園で行われたパンデミック条約反対大決起集会とその後のパレードデモに参加しました。
これは4月13日に池袋で行われ、全国から約2万人が集まったデモに端を発したもので、この件でさまざまに活動している各団体が「WHOから命をまもる国民運動」実行委員会を組織し、開催したものです。
今回、私たちは静岡の保守の仲間とともに参加するため、バスツアーを組むことといたしました。
5月31日、最初の集合場所である浜松市中央区を朝5時過ぎに出発したバスは、その後、浜松市浜名区、第二東名の静岡SA、清水PA、駿河湾沼津SAの各地で参加者をピックアップしながら、日比谷公園を目指します。

朝、バスに乗り込む頃には曇り空だったのが、数日前から天気予報が伝えていたとおり、高速に乗る頃にはしっかりとした雨が降り出しました。
この日の参加者のほとんどは、すでにコロナ騒動が何だったのか、ワクチンの危険性も世界の陰謀も正しく情報を得た人ばかりでしたが、中にはまったく情報を持たない方もおられ、そういう方々のために、これまでの経緯や今問題となっている事柄をまとめてレジュメにし、車中でひととおり、今回のデモの目的を確認しました。
公式サイトに掲載されていたシュプレヒコールも、車中で参加者全員で練習をし、本番に臨みました。

静岡SAでは昼食となる島田市の料亭・魚一さんのお弁当を積み込み、車中でいただきました。
朝早く、そして予算的にも無理を申し上げて作っていただきましたが、お刺身も入った心づくしのお弁当に、参加者一同のやる気がさらにみなぎってきました。

首都高の渋滞はほとんどなく、予定時刻より少々早い11時10分頃には日比谷公園に到着しました。
そしてうれしいことに、その頃には激しかった雨もほぼ上がっていました。
日比谷公園の前でバスを降りると、向かいの厚生労働省の前では、「日本列島100万人プロジェクト」の方々が街宣活動をやっておられ、池田としえ議員がマイクを握り、力強い演説をされているところでした。
池田先生のパワーにはただただ脱帽するのみです。

バスを降りた私たちは、用意した合羽は着ずに早速公園内へと入っていきます。
すでにこの頃には日比谷公園内には人、人、人、の波。

12時開場の大音楽堂に入ろうと、広い園内をめぐるようにすでに列ができています。
その待機列とは別に、各梯団を組むかのように、県名が書かれたプラカードを先頭に並んだいくつもの集団がいるのを見かけました。
4月13日の時は一応公園内を見渡せる範囲に人がいることを確認できましたが、今回は公園が広く、その列がどこまで続くのか、いったい何人くらいが集まっているのか、皆目見当もつきません。
少し油断すると、すぐに仲間を見失います。
私たちは何とか「最後尾」と書かれたプラカードを見つけ、その後ろに並びました。
並びながら、「志氣友学舎」と「静岡絡合会」の旗を立て、横断幕を広げていると、いろいろな方が声をかけてくださいました。
You tubeでLIVE配信中だったLizzyさんからも取材していただきました。
生配信はされていたようですが、残念ながら現在その動画はアーカイブには残っていないようです。

某党で一緒に活動していたかつての仲間に声をかけていただいたのは、本当にうれしかったです。

また、前回の4月13日のデモで連絡先を交換した方々とも再会することができました。
ワクチン被害が次第に明るみになってきたとは言え、人々の体調不良の増加とワクチン接種が関係していることに気づいていない人がほとんどで、この種の話をすることができる人が周りにいないという方がまだまだおられることが分かります。
私たち自身も皆、コロナ騒動が始まった頃には、それぞれが違和感を抱きつつも何が真実なのか明確な答えがなく、誰にも話せず、孤独を感じながら懸命にその解をネットに求めていたことを思い出しました。
並んでいる間にも、時折雨が降り始めることがあり、天気はこの後どうなるのか常に不安な空模様でしたが、その後回復していき、結局、用意した合羽の出番はこの日はありませんでした。
列に並んだのはよいものの、大音楽堂のキャパは3,000人余りであり、私たちが果たしてその中に入れるのかさえ、分かりませんでした。
しかし、開場後、待機列は順調に前に進み、一団が揃って座れる場所を確保することができました。

会場内に入れた私たちは幸運で、大音楽堂の外では、中に入れなかった大多数の方たちが外に向けて用意されたスピーカーで講演を聞かれていたのでした。

午後1時になり、いよいよ大決起集会の始まりです。
いつもPC画面で見ているお馴染みの先生方が壇上に登られ、講演が始まります。
まずは、林千勝先生の開会宣言です。
この5月31日を日本の独立記念日にしようという力強い開会宣言がありました。

講演のトップバッターはWCHJ代表の柳澤厚生先生です。
柳澤先生の話の中で、8月31日に、広島で第3弾となるパンデミック条約反対デモを行うことが紹介されました。
続いて、河添恵子先生の登場です。
いつも美しい河添先生は、政府とWHOは悪魔であると断罪し、不服従を貫こうと力強く演説されました。

続いてチャンネル桜の水島社長が登壇され、普段は「絶望」を口することもあるが、ここに集った皆が希望であると述べられました。
この国民運動がここまで広がったのは、ひとえに水島社長が加わったことが大きいと、筆者は感じています。

続いて、井上正康先生です。
井上先生は医学博士としての立場から、今の医学と治療がいかに歪んでいるかを説き、パンデミック合意にかかるWHOの一連の動きは実は日本が主体となっていること、WHOから命をまもるというのは、本当は厚労省から命をまもることだということを明らかにしました。
さらに、被害者の会・繋ぐ会から登壇された東さん、小金井さんは、2回目接種後にそれぞれ家族を失った悲しみやくやしさを語られ、特に小金井さんは生き残ったご自身の使命と覚悟を訴えられました。

次に、自身もワクチン接種のために癌になって苦しんだ経験を持つ原口一博代議士が壇上に登られました。
原口先生は冒頭で、国会議員として、このワクチン接種によって奪われる必要のない命が奪われたことについてお詫びの言葉を述べられました。
国民の代理として国会に議席を持つ人間の、これが本来あるべき姿ではないでしょうか?
他の国会議員は何をしているのでしょう?
政治が国民の幸福のためにあるのなら、多くの命を奪っているコロナワクチンをまずは止めるべきであり、これ以上に優先される課題がいったいどこにあるというのでしょうか?

この日講演予定だった馬渕睦夫大使は、体調不良のために残念ながら登壇されませんでしたが、日本人が目覚めたことへのお祝いのメッセージを送ってくださいました。
その中で、馬渕大使は政権幹部こそが国賊であり、私たちは復古の精神で闘っていこうと激励してくださいました。
そして、この国民運動の共同代表であり、ここまで私たち国民を鼓舞しつつ引っ張ってきてくださった林千勝先生。
林先生は日航機123便の撃墜事故や安倍元総理の暗殺事件に触れ、これにほとんどだれも触れない日本のジャーナリズムを一刀両断し、最後に隣接する厚生労働省に向けて、会場からシュプレヒコールを行いました。
講演会の最後を飾ったのは、常にパワフルな池田としえ日野市議会議員。
いつもと変わらないのあのパワーで、存在するものにはすべて意味がある、自分のために生きても何の力も出ないが、人のためになら驚くほどの力が出る、これからは人助けの旅に出よう、これを自己満足で終わらせてはならないと、会場内の参加者に強く訴え、鼓舞しました。
その後、4月13日にも会場に来られていた法螺貝のえどきたさん(@higonohirokun)が壇上で紹介され、会場の「エイエイオー」に合わせて、法螺貝を吹いてくださいました。
最後に、この後に出発する第1梯団の先頭を歩く林千勝先生の出陣式が行われ、第1部は閉幕となりました。
(後編に続きます)