希望のデモ行進

活動報告

来月、令和6年5月にWHO(世界保健機関)が、国際保健規則(IHR)の大幅な改定と、新たな国際条約のパンデミック条約について決議します。
国家を超える世界組織の協定の内容は、私たちの命や健康に大きな影響を与えるはずですが、その全容は明らかになっていません。
なぜなら、この問題に関して立ち上がった超党派の議員連盟が情報開示を求めているにも関わらず、政府がそれを拒否しているためです。
ワールドカウンシルフォーヘルスジャパン(WCHJ)のサイトでは、以下のようにまとめられています。

4年前に始まったプランデミックにより、私たちの生活と健康、もっと言えば日本の経済や社会そのものが激しく毀損されました。
子供たちの貴重な人生の時間も奪われました。
何より大きかったのは、政府とメディアに対する信頼が地に落ちたことです。
国民は政府が勧めるままコロナワクチンを接種したにも関わらず、それにより健康被害を被り、場合によっては亡くなってしまった方々が多数いても、一向にその責任を認めて救済措置を取ろうとはしませんでした。
そして、あろうことか、高齢者のコロナワクチンは定期接種となり、被害者救済制度は縮小され、政府はこれまで公表していたワクチン被害のデータの更新を止めてしまったのでした。
良心派の議員や学者が世界中で発表されている論文やデータを元に政府の見解を正しても、厚労相の記者会見で事実を突きつけても、問題はないとの姿勢を貫き通したのです。
まるでどこかの共産国家のように情報を隠蔽し、国民の命を救おうともしない政府と、取るに足らないことを針小棒大に伝え、国民にとって重要なことは一切報道しないオールドメディアに対する国民の怒りは、これまでにないほど大きくなっていたのだと思います。

令和6年4月13日(土)の東京・池袋は間違いなく、全国で最も熱い街でした。
この日の午後、北は北海道から南は沖縄まで全国各地から、老若男女、子供からお年寄りまでさまざまな人々が、東池袋中央公園に参集しました。
パンデミック条約と国際保健規則改定反対のデモ行進の日でした。
デモに先立ち、この日の午前中は牛込区民箪笥ホールで講演会があり、井上正康先生、林千勝先生、水島総社長らが登壇しましたが、定員400名の会場では、残念ながら入場できない方々が続出したようでした。
静岡を当日の朝に出た私たちは、直接東池袋中央公園に向かいました。
開始は1時半からでしたが、45分前に到着すると、すでにたくさんの人が公園を埋め尽くしていました。

東池袋中央公園は、巣鴨プリズンの跡地に整備されています。
1945年8月に大東亜戦争での敗北を喫した後、いわゆる「A級戦犯」とされた28名が、昭和天皇の誕生日の4月29日に起訴され、東京軍事裁判ではそのうちの以下の7名の方々が死刑判決を受け、明仁親王の誕生日に巣鴨プリズンで絞首刑に処せられたのでした。

  1. 東条英機(陸軍大将、元首相)
  2. 土肥原賢二(陸軍大将)
  3. 松井石根(陸軍大将)*刑はB級戦犯での処刑・A級では無罪
  4. 武藤章(陸軍中将)
  5. 板垣征四郎(陸軍大将、元陸軍大臣)
  6. 広田弘毅(元首相)
  7. 木村兵太郎(陸軍大将)

大勢の人が詰めかけた公園の隅の目立たない場所に、石碑が建てられていました。

「永久平和を願って」と彫られたその石碑の裏に回ると以下のように彫られています。


「第二次世界大戦後、東京市谷において東京国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。
戦争による悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。
昭和五十三年 六月」

人々はそこに備え付けられていたお線香をあげ、石碑の前で手を合わせていました。
きれいなお花も手向けられていました。

そうしていると、日本文化チャンネル桜の水島社長がいらっしゃり、後で皆で黙とうを捧げたいと簡単なあいさつをされ、今回のデモの主催者の佐藤和夫さんを紹介されました。
佐藤さんは、「ここで処刑された方々は、私たちの日本の罪を全部被っていかれた」と、私たちのために戦い散っていったにもかかわらず、「戦犯」扱いしていることへの無念と方々への敬意を表されました。
常に先人への想いを忘れないこの方々の言葉は本物だと感じます。

このデモには実にたくさんの方々が集っていましたが、某党離党後に久々に再会した懐かしい仲間や、絡合会の協議で知り合った方々とリアルでお話ができ、貴重な時間を過ごすことができました。
1時半になり、先ほどの話のとおり、主催者のあいさつに先立って、集合した全員で石碑に向かって黙とうを捧げました。
その頃には、東池袋中央公園に入りきらない人々が、周辺の歩道にあふれ出ていました。
同じ思いの人々が、日の丸の旗やお手製のプラカードを持って集合したその光景は、圧巻という以外言葉が見つかりません。

最終的には19,000人が集まった今回のデモの発起人は、最初は3人だったそうです。
そこにチャンネル桜の水島社長をはじめ、この問題で発信をされていた学者や議員の先生方、言論人やYouTuberが力を合わせ、ここまでの大規模デモになったと、これまでの苦労と感謝のことばを述べられました。
水島社長、井上正康先生があいさつされた後、林千勝先生が、「全国の皆さん、この巣鴨プリズンから日本を取り戻しましょう!」と高くこぶしを上げられました。

池田としえ先生は、いつもYouTubeで拝見しているとおりの迫力で、今はもう保守や革新などといったイデオロギーを超えて、私たちの命を守るために自ら行動する、その一点で団結する局面だと話されました。

その後、デモ行進に関する説明がありました。
恐らくデモは初めてという方も多いこの大人数が、果たして整然と行進し、目的を達成することができるのか、半信半疑で説明を聞いていましたが、その傍らで一人の方が見事にこの大人数をグループ分けしていきました。
一つの梯団は大体300名~400名くらいだったと思います。
私たちは第7梯団に入りましたが、周辺は人人人で身動きが取れず、いったいどれくらいの人々がグループ分けを待っているのか、全体の様子は分かりませんでした。
そして、あらかじめ配布されたメモを見ながら、その場でみんなでシュプレヒコールを飛ばしました。
2時からいよいよデモ行進の開始です。
第1梯団から順番に公園を後にし、残ったグループはその場で繰り返しシュプレヒコールを続けました。
池田としえ先生が参加者を次々と壇上に招き入れ、壇上に立った方は最大限の声を出して、力強く叫びます。
呼応する側も大声を出しながらこぶしを挙げるので、なかなかのエネルギーを要します。
何回も何回も繰り返すうちに、さすがにだんだん疲れてきました。
そして、いっこうに自分たちが行進に出かける番が回ってこないことに気づきます。
予定ではデモ行進は2時から3時となっており、3時には終わるのかと思っていましたが、その時間になっても私たちのグループはまったく出発する気配がありません。
主催者の説明では、警察からストップがかかっているとのことでした。
つまり、デモの許可申請で提出した参加予定人数を実際の参加者が大きく上回ってしまったため、1梯団ごとの出発する間隔を空けるようにとの警察の要求だったのです。
デモ行進は国民の権利ですが、仕事とは言えそれに対応しなければならない警察の大変さも一方で理解できます。
そうこうしているうちに、ようやく第7梯団の出発の時がやって来ました。
公園の中でコールしているのと、実際に道路を歩きながらコールするのとでは、やはり気持ちの入り方が違います。
警察官の丁寧な誘導に従いながら、約1時間ほどみんなでコールしながらデモ行進をしました。
沿道の方々の中には手を振ってエールを送ってくださる方も少なくなく、とても気持ちの良いデモ行進でした。

さて、今回のシュプレヒコールでの原稿はこのようなものでした。

これを順番に一人が叫び、最後のフレーズをみんなで叫びます。

今回、この中でひときわ盛り上がったフレーズがありました。
それは何かと言えば、これです↓

ワクチンで医師会に利益誘導する武見厚労大臣を許すな!

通常のコールではこの場合、「許すなー」と続くのですが、それに加えてあちらこちらから
「さっさとやめろー」
「クビだー」
などと聞こえてくるのでした。
それはそうでしょう。
医師会から2億2千万円を受け取っていたことが発覚した武見厚生労働大臣。
会見での記者の質問に真摯に向き合おうとしないその態度に、怒りがこみ上げるばかりです。

多くの人がワクチン後遺症で苦しんでいるのに、それはまったく無視ですか?
人の命よりカネですか?
政治家として、人として、恥ずかしくはないのでしょうか?

私たちが歩き終えた後も、デモの声は続いていました。
普段は大人しい日本人が、ワクチン行政の理不尽に気づいて初めて立ち上がった希望のデモでした。
こんなデモ程度で何が変わるのか、そういう意見もあるでしょう。
ただ、何もしないわけにはいかない、そう思っている人が全国にはこれだけいるのだと分かったことは大きかったと思います。
一人ひとりの力は小さくほぼ無力に思えます。
しかし、微力ではあっても無力ではない。
気持ちを強くして、ここから立ち向かっていきましょう。