「日本国」の由来

伝承・伝統・文化

「日本国」というと我が国の名称ですが、今回はそうではなくてこちらの山のことになります。
この山は新潟県と山形県の県境にあります。以前この前を通ったことがあるのですが、標高555mの低い山なのに、「日本国」と壮大な名称である事が不思議だと思っていました。
地元に愛されている山で、登山道がよく整備され登りやすく眺望も良い、のんびりまったり登るのに最適な山です。

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名前の由来には諸説あるようです。
・江戸後期、遠藤太郎次という若者がこの山で見事な鷹を捕らえ、徳川十代将軍家治に献上した際、将軍が「これは天下無双の鷹なるを持って、捕れた山を「日本国」と名付けよ」と言ったという説。
・大和朝廷軍の阿部比羅夫が東征の折、この付近の蝦夷勢力の平定に成功したことから、ここまでが「日本国」(日本と蝦夷との境)したという説。
・飛鳥時代に朝廷に追われた蜂子皇子がに故郷を思い「日本国」と名付けた説。

その中で今回は3つ目の説について少し掘り下げてみました。

蜂子皇子(はちこのおうじ)は三十二代崇峻(すしゅん)天皇の第三皇子(第一皇子説もあり)とされています。崇峻天皇の時代は蘇我氏と物部氏が権力争いをしている荒れた時代でした。そして崇峻天皇は臣下であった蘇我氏によって暗殺されてしまいます。蜂子皇子はその時まだ5歳でした。従兄弟にあたる聖徳太子は19歳だったのですが、皇子の身の上に魔の手の延びるのを案じて、皇子を都より脱出させたのです。さらに皇子は丹後・由良(現在の京都府宮津市由良)から船に乗り、近畿からも脱出、彼を乗せた船は、現在の山形県鶴岡市由良の地に到着します。(必然なのか、たまたまなのか同じ「由良という地名」)

そこで皇子は皇室の祖先と言われるタカミムスビの遣いである八咫烏(ヤタガラス)に導かれ羽黒山に登り現在「出羽三山」と呼ばれる地域の信仰を創始したといわれています。

皇子は自らもたいへんな苦労をされてきたこともあり、人々の悩みを聞いたり、面倒を見たりと、他者のために尽くし「能除仙(のうじょせん)」や「能除大師」、「能除太子(のうじょたいし)」と呼ばれるようになりました。

皇子は晩年この山に登り、故郷飛鳥(現在の奈良県高市郡明日香村周辺)のある未申( 西南の方位)を指差して「これより彼方は日本国」と仰せられ、これによりこの山が「日本国」と呼ばれるようになったということです。

出羽三山神社にある皇子の墓は東北地方で唯一の皇族の墓であり、現在も宮内庁によって管理されているそうです。宮内庁も「蜂子皇子の伝説は事実である」とみなしているということになりますね。

山頂展望台からの眺望
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