今日は、二十四節気の「大寒」です。
大寒は、二十四節気の最後の節気で、冬の寒さが最も厳しい時期です。
明治6年に政府が欧米に合わせて太陽暦を採用するまで、日本では千年以上にわたり「旧暦」と呼ばれる太陽太陰暦が使われてきました。
新月から月が満ちて欠けるまでをひと月としたのが太陰暦、地球が太陽を一周する期間を一年とするのが太陽暦で、それを組み合わせたものです。
太陰暦と太陽暦では一年で十一日ほどのズレが生じるため、数年に一度、閏月を設けて十三ヶ月ある年を作っていましたが、これでは農耕や漁を中心とする人々の暮らしに支障が出てしまうため、季節感を補うために考え出されたのが二十四節気でした。
一年を二十四の節気に分け、「立春」「雨水」といった漢字二文字で表す二十四節気は、季節の目安として分かりやすく、現在もそのまま同じ名称が使われています。
自然に寄り添いながら暮らしてきた日本には、この二十四節気をさらに三等分した七十二候という暦があります。
二十四節気はそれぞれ約十五日間ですが、七十二候では約五日ごとに季節がめぐってくるのです。
七十二候では、花や鳥、気象などの変化を繊細にとらえ、「大雨時行」「楓蔦黄」などの風情ある名称がつけられました。
「気候」という言葉は、この「二十四節気」の「気」と「七十二候」の「候」から生まれたものです。
七十二候は元々古代中国で作られ、六世紀頃に日本に伝わったものですが、両者の気象や草木、鳥や虫などに相違があるため、日本の気候風土に合わせて江戸時代から明治にかけて、さまざまな改定が繰り返されてきました。
現在は、明治7年の「略本暦」に掲載される七十二候が主に使われているようです。
日本人が千年以上にわたり、親しんできた暦ですが、残念なことに、細かすぎるという理由から今では忘れ去られようとしています。
科学技術が発達していない昔、先人たちは自然を愛で、慈しみ、季節の移ろいをその繊細な心で敏感に感じ取っていたのだと思います。
私たちの祖先が持っていた豊かな心を、現代人は捨て去ってしまっているようで、残念でなりません。
ちなみに、今日からの大寒の初候となる第七十候は「款冬華(ふきのはなさく)。」
意味は「蕗の薹が蕾を出す。」
蕗の薹は雪解けを待たずに顔を出すことから「春の使者」とも呼ばれるそうです。
早くも春の気配を感じさせる言葉ですね。