もう「戦後」を終わらせよう―終戦記念日に考える

安全保障

今日、8月15日は終戦記念日です。
1945年のあの日から、81年が経ちました。

毎年この時期になると、戦後日本がどこまで来たのか、そしてどこへ向かうのかを考えます。
歴史認識、安全保障、教育、外交――さまざまな角度から語られてきたテーマですが、今年、改めて思うのは一つの率直な思いです。

いい加減、「戦後」を終わらせ、真の独立国になるべきではないか。

1952年のサンフランシスコ平和条約発効をもって、日本は主権を回復したことになっています。
しかし、この81年間の実態を見つめ直すと、独立とはどこか名目上のものにとどまり、実質的な自立は先送りにされ続けてきたのではないか。
そう思えてなりません。

「戦後」という枠組みは、どのように作られたのか

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、戦争は終わりました。
しかしそこから1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効するまでの約7年間、日本はGHQによる占領統治のもとに置かれました。
この間に作られた制度の多くが、独立回復から81年経った今も、日本社会の基本設計として生き続けています。

現行憲法もその一つです。
1946年、GHQ民政局のスタッフによって、わずか一週間ほどで草案が作成されたことはよく知られています。
第九条の戦力不保持、交戦権の否認という規定は、当時の日本を二度と軍事大国にしないという占領政策の意図を色濃く反映したものでした。
この憲法は、独立回復後に日本人自身の手で全面的に見直されることのないまま、今日まで一字一句変わっていません。

そして1951年、日本はアメリカとの間で日米安全保障条約を結びます。
1960年の改定を経て、この体制は今日まで続いています。
吉田茂が選んだ路線――軽武装・経済重視、安全保障はアメリカに委ねるという、いわゆる吉田ドクトリンは、戦後復興と高度経済成長を実現するうえで、確かに大きな効果を発揮しました。

しかし、この路線は同時に、「自国の安全保障を自ら担う」という国家として当然の機能を、長期にわたって手放すことでもありました。
世界のどの国も、80年以上前に外から与えられた憲法や安全保障体制を、これほど長く手を加えずに維持し続けてはいません。

具体的に、何が先送りにされてきたのか

抽象的な話にとどめず、いくつか具体的な事象を挙げてみたいと思います。

基地負担の偏り
沖縄県の面積は日本の国土の約0.6%に過ぎませんが、在日米軍専用施設の約70%が沖縄に集中しています。
この不均衡は、日米安保体制の恩恵を全国民が享受しながら、その負担の多くを一つの地域に押しつけてきたことを意味します。
安全保障を「誰かに委ねる」という発想は、国内においても、負担の所在を曖昧にしたまま長年放置してきたのです。

食料とエネルギーの自給率
日本の食料自給率(カロリーベース)は長らく40%を下回る水準で推移しています。
エネルギー自給率に至っては、震災後の原発停止も影響し、一割程度にとどまります。
これは、有事の際に最も脆弱な部分がどこにあるかを、静かに物語っています。
防衛力だけを議論しても、国民が食べ、暮らすための基盤が海外依存のままでは、真の意味での自立とは言えません。

防衛力整備の遅れた転換
2022年になってようやく、政府は国家安全保障戦略を改定し、反撃能力の保有や防衛費のGDP比2%への増額方針を打ち出しました。
これ自体は評価すべき前進ですが、裏を返せば、それまでの70年近く、日本は自国の防衛力のあり方について、本格的な見直しを避け続けてきたということでもあります。
以前このブログでも取り上げたコルビー米国防次官のマニラでの発言――同盟国に「守ってもらう国」ではなく「共に戦うパートナー」であることを求める姿勢――は、この先送りがもはや許されない段階に来ていることを、外から突きつけられた形だと言えるでしょう。

歴史教育をめぐる漂流
教科書検定をめぐる論争は、何十年も繰り返されてきました。
自国の歴史をどう語るかという問題は、本来、国民自身が主体的に議論し、答えを出していくべきものです。
しかし実際には、近隣国との関係や国内の政治的対立の中で、この議論そのものが立ち止まったまま、今日に至っています。

真の独立とは、何を取り戻すことか

真の独立というと、しばしば勇ましい言葉として警戒されます。
しかし、その本質はごく単純なことです。
自分の国のことを、自分たちで決められるようになる。
それだけのことです。

自分の国を、自分たちの意思で守る。
他国の抑止力に安心しきるのではなく、自らの力で国土と国民を守る覚悟を持つこと。
同時に、その負担を一部の地域だけに押しつけず、国民全体で分かち合う仕組みを作ること。

自分の国の暮らしの土台を、自分たちで支える。
食料やエネルギーを、有事にも耐えられる水準まで自給する努力を重ねること。

自分の国の憲法を、自分たちの手で編み直す。
占領期に与えられた枠組みをそのまま受け継ぐのではなく、今の時代と、これからの世代にふさわしい形を、自らの意思で選び取ること。

自分の国の歴史を、自分たちの言葉で語る。
誰かに与えられた自虐でも、誰かに与えられた美化でもなく、光と影の両方を引き受けたうえで、次の世代に手渡していくこと。

これらはどれも、他国を敵視することとは関係がありません。
むしろ逆です。
自分の足で立てる国だからこそ、他国と対等な関係を築くことができます。
いつまでも誰かに守られ、誰かの枠組みの中で生きている国は、対等なパートナーにはなり得ないのです。

なぜ、今なのか

これまでこのブログでも、安全保障や移民政策について書いてきました。
突き詰めれば、そのどれもがこの一点に行き着きます。
日本は、自分の頭で考え、自分の意思で選び、自分の責任で引き受けるという、独立国として当たり前の姿勢を取り戻せるのか、ということです。

国際環境は、待ってはくれません。
頼ってきた同盟国の余力にも限りが見え始め、この国の周辺情勢は静かに、しかし確実に変わりつつあります。
「戦後」という猶予期間の中で先送りにしてきた問いの数々に、私たちはもう向き合わざるを得ないところまで来ているのだと思います。

81年前、この国は焦土の中から立ち上がり、多くを一から選び直しました。
しかしその選び直しの多くは、占領という制約の中で行われ、独立回復後もその枠組みは問い直されないまま引き継がれてきました。
今、私たちに求められているのは、あのときとは違う選び直しです。
誰かに枠組みを与えられるのではなく、自分たちの意思で、この国の形を選び取る番だと思うのです。

「戦後」を、いつまでも続く既定路線としてではなく、いずれ卒業すべき一つの時代として捉え直す。
それが、次の世代に対する私たちの責任ではないでしょうか。

真の独立国になる。
それは特別な理想を追い求めることではなく、独立国として本来当たり前の姿に、ようやく戻るということなのだと思います。