厳かに開催された第41回奉祝式典
令和7年2月11日、アクトシティ浜松中ホールにて、「浜松市建国記念の日奉祝式典」が開催されました。
今年で41回目を迎えるこの式典は、例年同様、多くの団体と参加者の協力のもと、厳粛かつ盛大に執り行われました。
午前10時には、協力団体が集まり、運営委員会が開かれました。
各団体の代表が挨拶を交わし、当日の進行スケジュールや運営準備の詳細が確認されました。
私たちも運営スタッフとして受付を担当し、会場の設営や資料のセットを行い、正午の開場とともに参加者をお迎えしました。
式典の幕開け 〜来賓挨拶と国を思う心〜
午後1時、式典が始まりました。
国歌斉唱、拝礼の後、浜松市長や浜松市議会議長をはじめ、城内実経済安全保障担当大臣、源馬謙太郎衆議院議員などが祝辞を述べられました。
特に城内大臣の「政治はまつりごとであり、神々に思いを致しながら行うもの」という言葉が印象的でした。
また、この日の講演会講師である松浦光則先生の著書『天皇陛下の祈りが世界を守る』が紹介され、日本の国の成り立ちや天皇陛下の祈りの意義への理解が深まりました。
登壇した議員の方々の言葉からは、日本の歴史や伝統を重んじる気持ちが伝わってきました。
皆が同じ思いを持てば、現在の日本が抱える問題は少なからず解決するのではないかと思います。
若き世代の視点 〜皇居勤労奉仕の体験談〜
祝辞の後は、日本大学の学生による意見発表が行われました。
幼少期から両親に神話を教えられて育った彼女は、皇居勤労奉仕の経験について語りました。
皇居勤労奉仕とは、一般国民が皇居や赤坂御用地の清掃・除草作業などを行う奉仕活動です。
その起源は昭和21年(1946年)に遡り、戦後の荒廃した皇居を復興するために全国の有志が自主的に集まったことに端を発します。
彼女が特に印象的だったと語ったのは、宮中三殿の賢所での体験でした。
天照大神を祀るこの場所に立つことで、日本の神話と皇室の歴史が今も生き続けていることを実感したそうです。
また、「無病息災・厄除け」の象徴とされる「むくろじゅ」の木の存在にも深い感銘を受けたと語りました。
奉仕活動中、天皇陛下から「普段はどのような活動をされていますか?」とお声をかけられたことや、陛下が各団体の活動を把握されていることに感動したとも述べられました。
「日本の歴史は皇室と共にある」という言葉が非常に印象的でした。
松浦光則先生による記念講演 〜日本の歴史を守るために〜
第二部では、皇學館大学教授・松浦光則先生による記念講演が行われました。
松浦先生は、日本の皇紀や建国の歴史について詳しく説明し、特に戦後の建国記念日の変遷について触れられました。
昭和41年に正式に国民の祝日として制定された経緯を学び、日本の歴史を改めて考える機会となりました。
また、吉田松陰の死生観にも触れ、日本の歴史を守るために命をかけた志士たちの思いについても語られました。
吉田松陰が獄中で弟子たちに遺した言葉が、明治維新の原動力となったことを改めて学びました。
「日本をなんとかしなければならない」と立ち上がった弟子たちの精神は、現代に生きる私たちにとっても重要な教訓です。
さらに、現代日本が直面する移民問題についても言及されました。
豊臣秀吉がバテレン禁止令を出し、日本の安全保障を守るために外国勢力の影響を抑えた歴史を引き合いに出しながら、現在の政治が逆方向に進んでいることを憂慮されていました。
特に「横浜開国後、ならず者が多く流入したが、当時の政府は何もしなかった。立ち上がったのが尊王攘夷の志士だった」という話は、現代の状況とも重なり、日本の独立と伝統を守ることの大切さを再認識させられました。
懇談会での質疑応答 〜未来のために私たちができること〜
式典後の懇談会では、松浦先生との質疑応答の貴重な機会がありました。
多くの参加者が積極的に質問し、議論が交わされました。
「靖国に行っているからといって、良い政治家とは限らない」という先生の言葉も印象的でした。
愛国者を装うだけの政治家も少なくなく、国民一人ひとりがしっかりと情報を精査し、人の本質を見極めることの重要性が強調されました。
また、「人様の目よりも神様の目を意識することが大切」との言葉も心に残りました。
現代では他人の評価や世間体を気にするあまり、本当に正しいことを見失いがちですが、志士たちは神々に誓い、正しい道を進もうとしました。
日本人特有の「お天道様は見ている」という価値観は、他者の評価や世間体に囚われがちな現代において、より一層重要性を増しているように思います。
この式典を通じて、私たちもまた、神々への思いを胸に、誇りある日本の未来を築いていく責任があると、改めて実感しました。

令和7年2月11日 アクト浜松中ホールにて