北方領土の日 ~歴史の闇に葬られた密約~

守るべきもの

今日、2月7日は「北方領土の日」です。
これは、1855年に日魯通好条約が締結され、択捉島とウルップ島の間に国境線が画定されたことを記念する日です。
しかし、北方四島は第二次世界大戦後、ソ連軍が占拠し、現在もロシアが不法占拠を続けています。
北方領土問題の解決に向けた取り組みは長年にわたって続けられていますが、未だ道半ばです。

北方領土問題の起源は、江戸時代まで遡ります。
当時、日本とロシアは蝦夷地の領有権を争っていましたが、1855年、日魯通好条約によって、択捉島とウルップ島の間に国境線が画定されました。
しかし、1875年の樺太・千島交換条約によって、日本は樺太の権利一切を放棄するかわりに、それまでロシア領であった千島列島、すなわちウルップ島以北の18島を領有することになります。
1945年2月、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン書記長によるヤルタ会談が開催されました。
この会談で、ソ連が対日参戦する条件として、以下の密約が交わされました。

  • 南樺太と千島列島の全部を獲得すること
  • 樺太の租借権と千島列島の領土権を獲得すること

このヤルタ会談に基づき、ソ連の対日参戦の準備のため、アメリカのアラスカ州コールドベイ基地で実施された米ソ合同の極秘作戦はプロジェクト・フラと呼ばれています。
アメリカはソ連が対日参戦に必要としていた艦船145隻を提供するとともに、ソ連兵1万2000人に対して最新の艦船や機器の取り扱いに関する習熟訓練を行っていたのです。
そして、1945年8月、ソ連軍は北方四島を占拠しました。
その後、ソ連は北方四島を自国の領土であると主張し、日本との平和条約締結を拒否し続けました。

近年、日本政府は北方領土問題の解決に向けて、ビザなし交流や共同経済活動などの「新しい取り組み」を推進しています。
しかし、ロシア側は領土問題の棚上げを主張しており、具体的な進展は限定的です。
北方領土問題を解決するためには、以下の課題を克服する必要があります。

  • ソ連による北方四島の占領は違法であったという日本の立場と、第二次世界大戦の結果に基づいて領土が確定したというロシアの立場の間には、大きな隔たりがあります。
  • ロシアのウクライナ侵攻に対し、我が国は一方的にロシアを敵視しウクライナを支援する立場を取っており、両国の関係は悪化しています。
  • 日本国内でも、北方領土問題に対する国民の関心は低いと言われています。

なお、この北方領土問題においては、1956年8月に日本の重光葵外相がロンドンでアメリカのダレス国務長官と会談した際、ダレス国務長官は「日本が歯舞、色丹の2島返還のみでソ連と平和条約を結べば、沖縄をアメリカ領にする」と恫喝(どうかつ)していた経緯があることを忘れてはなりません。
我が国の同盟国は、かくも冷酷な二枚舌外交をすることを常に念頭に置かなければならないのです。

北方領土問題の解決は容易ではありません。
しかし、歴史認識の共有、国際情勢の改善、国内政治における議論の活性化など、様々な努力を通じて解決に向けた道筋を探っていく必要があります。
私たち一人一人が北方領土問題に関心を持ち、解決に向けた行動を起こしていくことが求められています。