谷崎潤一郎の随筆に「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」というのがあります。
これは、1933年当時の西洋近代化によって失われていく日本人の美意識について論じた作品だと言われています。
今はまた、西洋のイデオロギーによって、日本人の心さえ失われつつあるような気がします。
昔、釣りと茶道とは武士の嗜みでした。
茶会とは会議であり、商談であり、相手を知る場でもあります。
「壁に耳あり、障子に目あり 」という言葉どおり
茶会に呼んだ側も呼ばれた側も喋らない。
もてなす時期と時間と御馳走。
茶で全てを表し、全てを察する場でありました。
上の句をそれらで表し、茶を飲み干し、下の句で返す。
昔の人がしていたこのような駆け引きを、果たして現代日本人にできるでしょうか。
侘び寂びとは日本人の心の世界観。
それをカタチに現したのが利休であり、堀部安兵衛です。
光が欲しいから光を切り取り、陰を巧みに取り入れ、水を感じたいからこそ、水を省く。
流れを演出し、宇宙空間すら表現しようとした世界観による陶器と菓子。
一輪の花に込められた願い。
床に掛けられた軸に一筆の想い。
山川草木、その全てに神が宿る庭造り。
自然という神の世界に身を置き一人瞑想する空間が廁でした。
それら世界観を総称したのが侘び寂び、日本人にしか分からない世界観だと思います。
是非日本建築を訪れて下さい。
いにしえの人々が何を思ったか、「感じる」と言う第六の感覚が大切ではないでしょうか。
私たちが取り戻したいのは日本人の心です。