令和6年3月17日(日)、小名木善行先生 春の講演会in浜松『日本の心と静岡県』を浜松市地域情報センター 1Fホールにて開催しました。
講演会開始は15時でしたが、準備は午前中から開始し、1時間前には小名木先生ご夫妻も合流して、手分けして現地の準備をしました。間もなく三々五々参加者が来訪され、15時には100名の方が集まり、熱気のある会場の雰囲気となる中、開会の辞、国歌斉唱、代表あいさつ、メッセージの紹介につづき、小名木先生の講演スタートです。
・小名木先生の自己紹介
浜松ご出身の小名木先生ですが、地元での講演は初めてということで、会場に近づくにつれ緊張されていたと吐露されました。こわーい先輩がおられるのだとか…。
・日本の現状と今後の展望
題目は『日本人の心と静岡県』でしたが、冒頭は意外にも、食料自給率の低さ、輸入食料の実態についてのお話で、現状はかなり絶望的な状況になっていると解説されました。
しかし、そうした状況に絶望し海外に移住しようというのは間違いだと。日本人は、要となる歴史、神話を学べばまだ大丈夫だと力強く語られました。
・歴史教育について
小名木先生は、「日本では歴史教育はされていますか?」と問いました。
ほとんどの人はされていると判断しました。しかし、答えは否でした。
日本では現在歴史教育がなされておらず、行われているのは「社会科の歴史的分野」になってしまっているというのです。
歴史教育というのは、歴史上の人物が何を考えその行動をしたのか、ということが重要で、現在を生きる人にとってのケーススタディになります。
ところが、今の社会科では西暦何年に起こったことと人物名を暗記することばかりであり、しかもそれが、事実でなくてもかまわないというものだというのです。逆に、事実を書いた教科書は検定不合格になってしまっているのが現実です。これはGHQの「教育指令」に端を発すると解説されました。そしてそれに追従する日本人が「8月革命説」を唱えて協力したとのことでした。

・なぜ事実でないことが教科書に載るのか
事実ではないことが教科書に載せられていることへの文科省の説明は「それを主張している国があるので、それを紹介している」というものだそうです。
「どこの国の教育なのか?」と思ってしまいます。
しかし、官僚はそうしたルールに従っているにすぎません。ルールを変えなければ変えられないのです。
・「国」とは何か
官僚が認識している「国」というのは英語で言うと、ステイトというものになります。ステイトとは政府、行政組織のことです。
日本では公家政権、武家政権の時代があったのですが、現在は敗戦利得者政権になっているというのです。一部の人が今だけカネだけ自分だけ儲けるという価値観、国家観です。
もう一つの「国」はネイションです。これは文化、言語、民族で結びついたもので、誰もが、豊かに、安全にという価値観、国家観です。私たちが考える日本という国は後者です。
建国の詔について
上記の国(ネイション)を日本人の共通認識とするには、日本の建国宣言、歴史、理念を知らねばならないのですが、知らされていないですし、教育もされていません。
建国の詔(みことのり)紀元前660年に出されています。これを全国民に知らしめるべきだと熱く語られました。
建国の詔(要約)(神武)東征から6年、まだ妖しいものはいるものの騒動はなくなりました。
そこで大いなる都を造ることにしました。我が国の民はとても素朴です。まだ狩猟生活の者もいますが、皆で豊かに安全に安心して暮らす仕組みを作り、行う条件が整いました。
山林を切り開き、民のための都を築き、平和な国を造り、正しい心を養いましょう。
国の大きな屋根となる都を造り、その屋根の下で助け合っていける国を造りましょう。民を宝とする国を築きましょう。

都(みやこ)という言葉の意味
み 大切な本質
や 飽和する 屋根の下ある建物
こ 米の出入りする蔵
米を蔵に貯蔵するのですが、この米は玄米、白米ではすぐに傷み、籾米では芽が出てしまいますが、玄米なら常温で20年貯蔵できるとのことでした。
・実際に行われてきた助け合い
日本は地震、台風などの災害ととなり合わせ、しかし意外と亡くなる人は少ないとのこと。
そして災害があった後、備蓄米で備えていました。備蓄する場所は神社の奥の院でした。それも、一か所では全滅の恐れがあるので半分は地元、3割領主、2割幕府と分散して備蓄し危機に備えていたとのことでした。
・お米について
米ばかり食べて大丈夫だったのか?と思う人もいるかもしれませんが、女性でも一日に1000俵運ぶほど体力があったとのこと。また、当時食べていた少し色のついた腹持ちのいいお米と違って、現在の米は真っ白。これはマグネシウムを含まない遺伝子破壊米なのだと解説されました。
・防災について
災害に対しては防災が必要ですが、これには土地の形は変わっていくものだということを前提に考えなければなりません。例えば浜松は昔海でした。これはグーグルマップの地形図を見ればはっきりわかりますとのことです。
・浜松にまつわる歴史の解説
浜松という名前の由来 浜松に変更されたのは徳川家康公と築山御前 瀬名姫にまつわる話
平家に仕えた熊野(ゆや)の話
武士の教え、日本人の魂は「能」に込められていた
・質疑応答
正妻、正室、姫などの区別は複雑である
かつての日本では一夫多妻制だった理由
氣(気ではなく)と米の文字の由来
邪馬台国論争が終わらない理由
日本が参加した戦争で貫かれていたのは「正義」
などについて解説していただきました。
今回は志氣友学舎として初めての開催となる講演会でした。小名木先生のお話の内容も素晴らしかったですし、力強いものでした。会場の雰囲気も良く、参加された方からも「来てよかった」との声を多くいただきました。今後の励みにして活動していきたいと思います。