合成の誤謬

学術

武田先生の音声ブログで「合成の誤謬」という言葉が出てきました。
個人で行うリサイクルは節約につながるが、国がリサイクル政策を推進すると資源を余計に使うことになるというものでした。
そこで「合成の誤謬」について少し掘り下げてみました。g

合成の誤謬とは

「合成の誤謬」というのは、「ミクロ的には合理的でも、マクロ的には正しいとは限らない」という考え方です。マクロ経済学を提唱したケインズが世に知らしめた言葉です。
「家計の貯蓄で、各家庭が消費を減らして貯蓄に回すと、経済全体が縮小し不景気になり貯蓄を取り崩さざるを得なくなる」つまり「国民が5万円貯蓄額を増やした場合、それがそのまま売り上げの低下につながって、国民の総所得が5万円減ってしまう」というものです。
ケインズはその考え方で第一次世界大戦後の法外な賠償をドイツに要求することの危険性を指摘していました。予言は的中し、経済的に破滅したドイツではその後ナチスという魔物が台頭することになりました。
日本の例ではジョン・F・ケネディが尊敬した米沢藩の上杉鷹山(うえすぎようざん)による藩の財政改革が成功したのに対し、幕府の徳川吉宗、松平定信の改革の改革は、全体の経済活動を冷え込ませるだけに終わり、国政レベルでは失敗したことが知られています。(学校教育ではそうは教えられていませんが)

合成の誤謬の事例

現在では「合成の誤謬」は経済学分野以外にも当てはまることがたくさんあるとわかっています。

・球場で一人だけ立ち上がればよく見えるが、全員立ってしまうと見えなくなる
→これはわかりやすいですね。

・道路を造りすぎると渋滞が余計に激しくなる
→分散して通行していた車が、新しい便利なルートに集中するようになってしまい渋滞を引き起こす現象です。

・若者が選挙に行くよりアルバイトや勉強を優先すると若者全員がアルバイト代以上に損をする
→「選挙に行く時間があったら、バイトや勉強をした方がよっぽど自分の利益になる」という短期的に見れば合理的な判断をし続けることで「若者の投票率の低下」が起きると、政治家は高齢者優先の政策を推し進めることになり、若者が損をすることになります。

・経済のグローバル化により世界レベルで広がっている「合成の誤謬」があります。国柄の異なる各国でそれぞれ合成の誤謬を回避しようとすると、グローバルには合成の誤謬が起きてしまうというものです。

論理学における合成の誤謬

論理学では「一つのモノの一部分からそのものの全体を判断する」ということが合成の誤謬になるとされています。
・彼の腕時計はロレックスで、財布とサングラスはグッチだった。 きっと彼はお金持ちに違いない、という思い込み。
・SNSの誹謗中傷が人を傷つけている。よってインターネットは危険な道具に過ぎないという論調。

これらはいずれも誤謬です。

要素還元主義の誤謬

複雑な事象を理解しようとするとき、 その事象をいくつかの単純な要素に分割し、 それぞれの単純な要素を理解することで 元の複雑な事象を理解しようという考え方である「要素還元主義」も「合成の誤謬」となりやすいようです。

わかりやすい例でいうと、対戦する野球チームを調査するときに、 ピッチャーの成績と、野手の打撃成績だけを調べ、 それだけで打撃のチームだな。 と判断してしまう考え方です。対戦してみたら全然違っていたということが起こります。

合成の誤謬を回避するために

合成の誤謬を回避する理論やシステムなどはまだ確立されていないようです。しかし、下記のようなことが提唱されています。
・ミクロの合理性とマクロの合理性が一致しないという「合成の誤謬」を知ること
・結果や事実を確認すること(武田先生が何度もおっしゃっていますね)
・複雑な事象の一部を切り取るのではなく、そのまま捉えて全体として理解すること
これらのことに留意し、その上で、ミクロ視点とマクロ視点両方(鳥の目、虫の目)で正しいことを考え、行うようにしたいと思いました。