近年数が減っているようですが、小学校などで校門近くにある銅像といえば「二宮金次郎像」。 薪を背負って読書をしながら歩く少年の姿は、家の手伝いをしながらも学びを怠らない理想の姿として広められました。 多くの人に知られている金次郎ですが、大人になってどうなったかを知っている人はあまり多くないようです。
二宮金次郎は 渋沢栄一、豊田佐吉、 松下幸之助、稲盛和夫といった実業家に影響を与えた日本最大の偉人の一人で、日本の協同組合運動の先駆けとして、江戸時代後期に「報徳思想」を唱え農村復興政策を指導した農政家です。
「報徳思想」は、神道・仏教・儒教と農業の実践を通して、編み出されたもので、至誠、勤労、分度、推譲という4つの基本原理からできています。
きっとこれは世のため人のためになるはずだというまっすぐな気持ちを持った上で、どうすれば成果が出るのか、もっといいやり方はないかと常に考えながら努力することが大切なのだというものです。
逸話は数多くあるのですが、今回はある「反面教師」についてのエピソードを取り上げたいと思います。
二宮金次郎から儒学を学び、自ら教師となり弟子たちに教えている男がいました。ある日その男は、近所の村に行って大酒を飲み酔って路傍に寝転ぶなど醜態をさらしてしまいました。
すると、その様子をたまたま見ていた弟子の一人が翌日から教えを受けることをやめてしまったのです。
男は怒り、師匠の金次郎に「私の振る舞いが良くなかったが、伝えているのは貴い聖人の教えであり自分の行いとは別のこと、弟子が聖人の教えを捨てるのはおかしい。弟子を説得して自分のもとへ戻り学問に再び就くように言ってください。」と訴えました。
すると金次郎は「 腹を立ててはいけない、例え話で説明してあげよう。」と諭します。
ここに米があるとする。これを炊いておひつの代わりに「肥桶」に入れた。それをお前さんは食うかい?もともと綺麗な米の飯に違いない、ただ汚い桶に入れただけのことだ。だが、食うものは誰もいない。
お前さんの学問もそれと同じだ。もともとは聖人の教えかもしれ ないが、お前さんの「肥桶」のような口から講釈をしても、弟子たちは嫌がるのだ。
それを不条理だと言って咎められるはずがないだろう。
どんなに正論であっても、どんなに素晴らしい教えで あっても、それを唱えている人の人間性に問題があれば、誰も聞きたがらないのは当然である、という逸話でした。
ここで、自らを戒めなければならないと思うと同時に、某政党の代表や幹部のことが思い浮かびます。まさにあの人たちの口は「肥桶」のようなものだと。そして、それを改善せず放置したため、とうとう「肥桶」から出てくる言葉自体も器に見合ったものになってしまったと。